水戸地方裁判所土浦支部 昭和49年(ワ)1号 判決 1975年9月02日
原告
岩田弘
被告
富岡青果有限会社
ほか二名
主文
1 被告らは、各自、原告に対し金二一八万一、九三七円および内金一五八万一、九三七円に対する昭和四五年八月七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。
4 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告(請求の趣旨)
1 被告らは原告に対し、各自、金九二二万九、九〇四円および内金八四二万九、九〇四円に対する昭和四五年八月七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 被告ら(請求の趣旨に対する答弁)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告(請求原因)
1 (事故の発生)
(一) (日時) 昭和四五年八月六日午後一時三〇分ころ
(二) (場所) 茨城県水海道市豊岡町丙一、八六二番地先道
(三) (車両) 被告塩沢力(以下、被告塩沢という。)運転に路
かかる被告富岡青果有限会社(以下、被告会社または単に会社という。)および被告富岡隆十郎(以下、被告富岡という。)保有の普通貨物自動車(茨四る三七六七。以下、被告車という。)
(四) (態様) 原告は、右日時場所の道路左端に茨城県岩井市方面より同県水海道市内に向け駐車中の普通貨物自動車(足立四さ一九四。以下、原告車という。)の右側より運転席に乗り込み、原告車の運転席側ドア(右側)に右手をかけて、これを閉めようとしたところ、後方の岩井市方面から進行してきた被告車の左側車体のダボに接触されたもの。
(五) (結果)
(1) 原告は、右手背挫滅創、右環指切断、右中手骨々折の傷害を受けた。
(2) 原告には、右環指切断、右第五中手骨々折変形治癒、右手背ケロイド、右小指屈曲三〇度まで、伸長一八〇度の後遺障害が残存し、自賠責保険後遺障害等級は一一級である。
2 (責任原因)
被告らは、それぞれ次の理由により、本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。
(一) 被告会社は、被告車の保有者であり、自己のためにこれを運行の用に供しているものであるところ、本件事故は、使用人である被告塩沢が被告会社の業務に従事中、後記(三)の過失によつて惹起したものであるから自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条、民法七一五条による責任。
(二) 被告富岡は、被告車の所有者であるが、同被告が代表取締役として事実上経営している被告会社に被告車を貸与して自ら管理していたところ、同会社の従業員である被告塩沢が同会社の業務に従事中、本件事故を惹起したものであるから、自賠法三条による責任。
仮に、被告富岡に前記の運行供用者責任が認められないとしても、同被告は被告会社の代表取締役であるところ、同被告会社資本金二〇〇万円の小規模の会社であり、かつ、有限会社とはいえ、税金対策上、法人組織としたにすぎない名ばかりの会社で、その実体は被告富岡の個人企業であり、同被告が被告会社の運営を直接支配し、現実に被用者の選任および監督にあたつていたのであるから、同会社の従業員である被告塩沢が、同会社の業務に従事中惹起した本件事故について、被告富岡は民法七一五条二項により代理監督者責任がある。
(三) 被告塩沢は、被告車を運転中、前方不注視、側方不注視、ハンドル操作不適確の過失により本件事故を惹起したものであるから、民法七〇九条による責任。
3 (損害)
(一) (治療費) 金二五万九、〇九〇円
なお、原告の治療期間は次のとおり。
(1) 昭和四五年八月六日から同年九月二日まで佐藤外科に入院二八日間。
(2) 昭和四五年九月三日から同年一二月三〇日まで佐藤外科に通院一一九日間。
(3) 昭和四六年一月六日より同年一月一七日まで、同年二月一日より同年四月一一日までおよび同年五月一八日より同年八月三一日まで土浦協同病院に通院合計一八九日間。
(4) 昭和四六年一月一八日より同年一月三〇日までおよび同年四月一二日より同年五月一七日まで土浦協同病院に入院合計四九日間。
(二) (診断書料および診療費明細書料) 金六、五〇〇円
(三) (入院中の家族の付添費および通院費) 金九万六、七〇〇円
(1) 原告の母訴外岩田あいは、原告が、昭和四五年八月六日より同年九月二日まで佐藤外科に入院中、二八日間、昭和四六年一月一八日より同年一月三〇日まで土浦協同病院に入院した際、そのうち五日間、同年四月一二日より同年五月一七日まで同病院に入院した際、そのうち一二日間いずれも原告の付添看護をしたが、訴外岩田あいの付添看護費は一日金一、五六〇円が相当であるから、右費用の合計は金七万二〇〇円となる。
(2) 訴外岩田あいは、佐藤外科で二八日間付添看護をしたとき、同病院は賄い付きでなかつたので、自炊または外食をせざるを得ず、一日六〇〇円の割合で合計金一万六、八〇〇円を支出した。
(3) 訴外岩田あいは、佐藤外科に付添看護のため前記(1)のとおり二八日間通院したが、バス代一往復一四〇円であるので金三、九二〇円を支出し、また土浦協同病院に付添看護のため前記(1)のとおり一七日間通院したが、バス代一往復三四〇円であるので金五、七八〇円を支出し、合計金九、七〇〇円の損害を蒙つた。
(四) (原告の入院中の食費) 金一万六、八〇〇円
原告は、佐藤外科に入院中、同病院は賄い付きでなかつたので、自炊または外食をせざるを得ず、一日六〇〇円の割合で合計金一万六、八〇〇円の食費を支出した。
(五) (入院雑費) 金二万三、一〇〇円
一日当り三〇〇円で入院日数七七日
(六) (原告の通院交通費) 金三万四、四四〇円
(1) 佐藤外科の通院交通費 金一万八、八〇〇円
通院九四日
(2) 土浦協同病院の通院交通費金一万五、六四〇円
通院四六日
(七) (休業損害) 金八五万五、〇〇〇円
(1) 原告は、訴外有限会社北村翠商店(以下、訴外北村商店という。)に自動車運転手として稼働し、月収金五万七、〇〇〇円であつたところ、本件事故によつて一三ケ月間休業したので、金七四万一、〇〇〇円の収入を失つた。
(2) 原告は、右会社から昭和四五年一二月年末賞与一月分、同四六年七月夏期賞与一月分を得べかりしところ、右休業のため、これらの支給を受けることができず、金一一万四、〇〇〇円の収入を失つた。
(八) (逸失利益) 金六一八万八、二七四円
原告は、本件事故により前記1、(五)、(2)の後遺症があり、左手握力は四二位であるのに右手握力は一五しかないので、少なくとも労働能力を二五パーセント喪失したところ、原告は、満六三才まで就労可能であるので、就労可能年数は四〇年であり、新ホフマン係数は二一・六四三である。ところで、原告は、普通貨物自動車運転手であるが、労働省統計情報部編集の昭和四七年賃金センサスによれば、道路貨物運送業企業規模一〇人ないし九九人の新高卒男子労働者の年収は金一一四万三、七〇〇円であるので、原告は同金額の収入を得ることができたはずである。よつて、原告の逸失利益は六一八万八、二七四円となる。
(九) (慰謝料) 金二五〇万円
(1) 入通院慰謝料 金一〇〇万円
(2) 後遺症慰謝料 金一五〇万円
次に述べるような原告の苦痛を慰謝するのには、少なくとも金一五〇万円が相当である。
<1> 原告には、前記1、(五)、(2)および3、(八)のような後遺症があるので、右手で重量物を持つたり、物を握りしめることができない。
<2> 右環指切断部分に神経がきているので、寒さが身にしみて苦痛を覚える。また寒いときは、右手指の部分全体がこごえて固まつたようになり、いうことをきかなくなる。
<3> 右環指切断部分に似関節ができているため、自動車のハンドルを切るとき、その部分がハンドルに接触して痛い。
<4> 原告の実家は農業を営んでいるが、右環指切断、右小指屈曲三〇度までであるため、田植の際、苗を植えることができない。
<5> 日常生活でも、例えば、毎朝顔を洗うとき水が手からもれて容易に洗えないという具合である。
<6> 原告は、未婚の男性であるが、右環指切断、右小指の屈曲不完全、右手背ケロイドのため、人前に右手を出すことに非常に精神的苦痛を感じる。
(一〇) (弁護士費用) 金八〇万円
原告は、被告らに対し、再三、損害賠償の請求をしたが、任意の弁済に応じないので、やむなく原告訴訟代理人弁護士稲益賢之に訴訟委任し、着手金二〇万円を支払い、成功報酬金六〇万円を支払う旨約束した。
4 (損害の填補) 金一五五万円
原告は次のとおり支払を受けた。
(一) 自賠責保険金 金五〇万円
(二) 自賠責保険後遺障害補償費 金七五万円
(三) 被告の任意弁済 金三〇万円
5 (結論)
よつて、原告は、被告らに対し、各自金九二二万九、九〇四円および内金八四二万九、九〇四円に対する昭和四五年八月七日より支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告ら(請求原因に対する認否)
1 請求原因1、(一)、(二)は認める。
2 同1、(三)ないし(五)は争う。
3 同2は争う。
被告車の所有権は被告会社にあり、被告富岡にはない。
4 同3は不知
5 同4は認める。
三 被告ら(主張ならびに抗弁)
1 (本件事故の態様について)
被告塩沢は、被告車を運転中、前方約一〇〇メートルに原告車を発見し、二〇メートル以上手前で原告車が停車していることを知り、原告車の右方八〇センチメートルの地点を進行したが、このとき原告は、被告車が未だ通過し終わらないのに不注意にも原告車の右側ドアの右端を右手でつかんで開けたため、右手背が被告車の荷台に接触し、右手背に傷害を受けたものである。すなわち、原告の傷害は、被告車が停車中の原告車を通り越す際に、原告車に接触したことにより受けたものではないのである。もし、被告車が原告車に接触したのであれば、双方の車とも破損しているはずであるが、両車とも接触による破損は全くなく、ただ、原告がつかんでいたドアの右端の部分が、右手の指の当つたところだけ少し凹んでいるにすぎないのである。
実況見分調査(〔証拠略〕)によれば、停車中の原告車の右側のドアが閉められないところに接触せしめたとあるが、これは事実に反するものである。なぜなら、原告の右手背が被告車に接触した箇所は、前記のとおり被告車の先頭でなく、後方の荷台であるところ、原告車の停車していた地点の道路の前方は左へカーブしており、このような左へカーブしている道路において、停車していた原告車の右側を通過する場合、被告車と原告車との左右の間隔は、被告車の先頭部分より後方の部分の方が広くなるはずであるから、原告が未だドアを閉めない間に接触ということはありえないものである。
このように、被告車は原告車に接触したものではなく、また、被告塩沢は、原告車の右側を通過する際、原告が未だ被告車が通過し終わらない間に右側ドアをドアの右端を右手でつかんで開けることまでは信頼の原則により予想する義務はないものであるから、被告塩沢には本件事故に関し過失責任はなく、専ら原告自身に前記および後記2のような過失があるものである。
2 (過失相殺)
仮に、被告塩沢に過失があるとしても、原告には次に述べるような過失があるから、過失相殺がなされるべきものである。
(一) 前記1のとおり原告は、被告車が未だ原告車の右側を通過し終わらない間に右側ドアの右端を右手でつかんで開けたため(ドアの内部にある取つ手に手をかけて開ける方法をとらず)、右手背が被告車の荷台に接触した。原告が被告車の通過後にドアを開けておれば、原告の負傷は生じなかつたものであるし、またドアの内部にある取つ手に手をかけて開ければ、右手背の傷害は生じなかつたはずである。しかるに、原告は、被告車の進行しつつあるのを知りながら、ドアの右端をつかんで開けるという運転免許を有しない素人でもやらないような無謀なドアの開け方をしたために負傷したものである。
(二) 原告車は道路の左側に停車中であつたのであるから、ドアを開ける際は左側のドアを開けるべきであつた。ましてや、被告車が数十メートル後方から進行しつつあることは当然予知すべきであるから、予知していたら右側のドアを開けるべきではなかつたのである。しかるに、原告が急に右側ドアを開けたということは、後方から被告車が進行中であることを原告が不注意にも全く予知していなかつたことも考えられるのである。
(三) 原告車の停車していた地点は、バスの停留所から一〇メートル位先の道路左側であるが、右停車は明らかに禁止規定違反である。特に、その地点は前記1で述べたとおり道路の前方は左方へカーブしている地点である。
3 (消滅時効)
本件事故の発生は、昭和四五年八月六日であるところ、本訴請求は同四九年一月八日であり、事故の日から三年以上経過しているから、本件の不法行為にもとづく損害賠償請求権は時効により消滅しているので、ここに右消滅時効を援用する。
なお、原告は、昭和四五年八月二二日水海道警察署の巡査塔ケ崎巌による取調の際、被告の住所氏名と被告車を知悉している旨供述しているので、遅くともこの時点から消滅時効は進行することになるが、本訴の提起は前記のとおり昭和四九年一月八日であるから本件損害賠償請求権は時効により消滅していること明らかである。
四 原告(被告らの主張ならびに抗弁に対する認否)
1 被告らの主張ならびに抗弁1・2のうち、原告が右手背に傷害を負つた点は認め、被告車が原告車の右側方を通過中に、原告が自車の右側ドアを不用意に開けたことが本件事故の原因であるようにいう点は否認し、その余の主張は争う。
原告は、自車の右後方を回るとき、被告車が進行してくるのを認めたが、これとの距離が約五〇メートルあつたので、自車の運転席右側に行き、その右側ドアを右手で開けて左足を運転席下のステツプに乗せ、左手で運転席右上部にある取つ手をつかんで運転席に乗り込もうとして、自車後方を注意したところ、被告車が時速五〇キロメートル位の高速度で約三〇メートル後方に接近していたので危険を感じ、右側ドアを閉めようとしたが、間に合わないで本件事故にあつたものである。
2 同3は争う。
本件事故による損害賠償請求権の消滅時効期間は、原告が損害および加害者を知つたときから進行するところ、被告車は、自動車登録原簿および自動車検査証において被告富岡の所有となつているうえ、自賠責保険契約者は被告富岡となつており、また被告塩沢は、原告に対し「富岡青果商店」の店員と称し、「富岡青果有限会社」の従業員とは言わなかつたので、原告は、被告車の所有者は被告富岡であり、同被告が被告塩沢の使用者であると思つていた。ところが、昭和四九年三月二八日当裁判所に申立て、被告塩沢に対する業務上過失傷害被告事件の確定記録を取寄せ閲覧したところ、はじめて被告塩沢は被告会社の従業員であり、被告会社が被告塩沢の使用者であること、被告塩沢は被告会社の業務に従事中、本件事故を惹起したこと、被告会社も被告車の運行供用者であることを知つた。すなわち、原告はそのとき、はじめて被告会社が加害者であることを知つた。したがつて、被告会社に対する消滅時効期間はそのときから進行するので、未だ三年を経過しておらず、被告会社に対する損害賠償請求権は時効により消滅していない。
五 原告(被告富岡、同塩沢に対する再抗弁)
原告は、被告富岡、同塩沢の両名に対し、昭和四八年八月五日、本件交通事故による損害賠償金支払の催告をし、右催告後六ケ月内の昭和四九年一月七日、右被告両名に対し、本件訴訟を提起したので、右催告は消滅時効中断の効力を生じた。よつて、原告の右被告両名に対する損害賠償請求権は時効により消滅していない。
なお、被告富岡に対する前記の催告の状況は次に述べるとおりである。
訴外富岡君子(以下、訴外君子という。)が、被告富岡の代理人として、原告より本件交通事故に関する損害賠償支払請求書(〔証拠略〕)および明細書(〔証拠略〕)を受領したものである。すなわち、訴外君子は被告富岡の妻であるところ、原告から昭和四八年八月五日電話で、本件交通事故損害賠償請求事件の示談交渉のため訴外北村商店へ来てくれとの呼び出しを受けて、訴外君子は、被告富岡にその旨を告げ、同被告から示談交渉について委任を受けた後、右北村商店へ赴き、同商店において、原告から前記損害賠償支払請求書と明細書を出されるや、一旦、自宅に電話をかけ、被告富岡の承認を得て右文書を受領したものである。かかる事実によれば、訴外君子が被告富岡の代理人として右文書を受領したことは明白である。しかして、訴外君子は、右文書を自宅に持ち帰り、同日、自宅において被告富岡に見せ、同被告はこれを閲読しているので、原告の右損害賠償支払請求の意思表示は同被告に完全に到達している。したがつて、原告の被告富岡に対する右催告は有効であり、本件損害賠償請求権の消滅時効は中断しているものである。
六 被告富岡、同塩沢(再抗弁に対する認否)
原告主張の再抗弁事実のうち、訴外君子が昭和四八年八月五日、訴外北村商店へ行き、原告主張の損害賠償支払請求書(〔証拠略〕)等の文書を受けとつたことは認めるが、その余の事実は争う。
右文書はあくまでも請求だけであつて、債務の承認ではないし、右文書の受領書(〔証拠略〕)に署名拇印した訴外君子は、被告富岡の妻であるが、本件損害賠償の請求には何の関係もない者で、同被告の代理人ではない。仮に、右文書に代理人の字句を記入したとしても、そしてまた、原告が右文書を債務の承認であると主張しても、本件のような多額の損害金の請求の場合は、訴外君子にはその権限なく無効のものである。訴外君子は、夫である被告富岡の委任を受けて訴外北村商店へ行つたわけではなく、また、損害賠償請求のことを予め知つて行つたわけではない。このことは訴外君子が、前記のとおり署名拇印後、帰宅して被告富岡に話したところ「余計なことを勝手に書くな」といつて同被告から叱責されていることによつても明らかである。以上のとおりであるから、前記の文書をもつて消滅時効中断の理由とすることはできないのである。
第三証拠〔略〕
理由
第一本件事故の発生と責任の帰属
一 (本件事故の態様)
〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、昭和四五年八月六日午後一時三〇分ころ、茨城県水海道市豊岡町丙一、八六二番地先の幅員六・五五メートルの道路の左端に、同県岩井市方面から水海道市方面に向け駐車中の普通貨物自動車(原告車)の運転席に、荷物の積み込み終了後、乗車しようとして、原告車の後方を回わり、右側の運転席側のドアを八〇センチメートル位開けて、タイヤのステツプに左足をかけ(右足はまだ地面についていた。)、左手で運転席の前のつかまる所をつかみ、右手で右側ドアの外部にある取つ手のやや下付近をつかんでドアを閉めようとしたところ、後方から時速約四五キロメートルで進行してきた被告塩沢運転の普通貨物自動車(被告車)の後部左側にある荷台のダボが、原告車の右側方を通過する際、前記のとおり原告車の右側ドアをつかんでいた原告の右手に接触し、このため原告は、右手背挫滅創、右環指切断、右中手骨々折の傷害を受けた(以上の事実のうち、事故発生の日時、場所および原告が右手背を負傷したことは当事者間に争いがない。)。
2 原告車の停車していた地点の前方三〇ないし四〇メートル先は、左へゆるくカーブしている道路である。
3 被告塩沢は、約一〇〇メートル手前から、前方に原告車が存在することを認め、更に接近してから原告車が停車していること、およびそのとき原告が前記1のとおり原告車後部を回わり、運転席側のドアを開けて乗車しようとしているのを認めたが、その右側方を通過するため、原告車の約二〇メートル後方の地点からセンターラインに出て同一速度(約四五キロメートル)のまま原告車との間隔約六〇センチメートル位で進行したところ、前記1のとおり被告車のダボが原告の右手に接触した。
4 原告車と被告車が直接接触ないし衝突した痕跡は双方の車体になく、ただ原告車の運転席側ドア(右側)の外部にある取つ手のやや下付近に、指の跡と思われる程度のくぼみができているが、この部分は前記1のとおり原告が本件事故当時、右手でつかんでいた箇所である。
5 原告は、前記1のとおり原告車に乗車しようとする際、後方約四〇ないし五〇メートルのところから被告車が進行してくるのを認めたので、早くドアを閉めようとしたが、まだ閉め終わらない間に本件事故が発生したものである。
被告らは、本件事故は、被告車が原告車の右側方を未だ通過し終わらないうちに、原告が、原告車の右側ドアを開けたために生じたものであつて、被告車通過前から原告車のドアが開いていたものではない旨主張し、右主張に沿う被告塩沢本人の供述があるが、右供述は前掲各証拠に照らして措信できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。ところで、被告らは、被告車の接触箇所が、先頭部分でなく、後方の荷台である点と原告車の停車していた地点の道路の前方は左へカーブしており、このような地点を通過する場合は、被告車と原告車との左右の間隔は、被告車の先頭部分より後方の部分の方が広くなるはずであるという点から、原告が未だドアを閉めない間に接触したということはあり得ないと主張するので検討するのに、〔証拠略〕によれば、被告車後部の荷台のダボは、前部のドアよりも側方へはみ出していることが認められるから、被告車の前部が原告に接触しなくても後部の荷台のダボが接触することは当然あり得ることであるし、次に道路のカーブの点であるが、前記2で認定したとおり原告車の駐車していた地点は、カーブの地点から三〇ないし四〇メートル後方であるゆえ、仮に、カーブ地点に原告車が停車していたと想定したとしても、被告車と原告車との左右の間隔が、常に被告ら主張の如き関係になるとはいえないものであるから、結局被告らの前記主張は採るを得ないものである。
他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
二 (被告塩沢の責任)
前記一で認定した事実によれば、被告塩沢は、被告車の進路前方に停車中の原告車および同車の後方を回わり運転席側のドアを開けて乗車しようとしていた原告を認めたのであるから、原告の動静を十分に注意し、安全に原告車の側方を通過できる間隔を保つて進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、時速四五キロメートルのまま進行した過失があるといわざるを得ない。もし、被告塩沢が十分な間隔を原告車の右側方との間にとつていたか、減速徐行しつつ進行しておれば、本件事故の発生は防げたものと考えられるものである。
したがつて、被告塩沢は本件事故について、民法七〇九条による責任があるというべきである。
三 (被告会社および被告富岡の責任)
〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
1 被告会社は、昭和四三年一〇月一五日青果仲介業および卸小売の販売を目的として設立された有限会社であつて(資本金二〇〇万円)、右会社の代表取締役には被告富岡が、監査役には同被告の妻である訴外君子がそれぞれ就任し、その余の役員としては取締役青木徳次がいるのみである。被告会社は、会社組織にするまでは「富岡青果」という屋号で被告富岡の個人営業としてなされていたが、税金対策上、前記のとおり会社組織にしたもので、実質的には同族会社ないし個人会社のようなものであり、被告富岡が、会社の経理、得意先との交渉、従業員の指示監督等経営全般を行なつていた。
2 被告車は、被告富岡個人が代金を支払つて購入したものであり、自動車検査証の所有名義ならびに使用者名義および自動車損害賠償責任保険の保険契約者名義とも被告富岡個人となつているが、被告会社の設立当初より被告富岡は、被告車を会社の使用のために提供し、会社の減価償却資産の明細書に記載したり、被告車の自動車税を会社が支払つたりしていた。
3 被告塩沢は、会社設立前の昭和四三年二月から被告富岡個人営業の「富岡青果」に勤務し、会社設立後は、被告会社との間の雇用関係となり、本件事故当時も被告会社に勤務していた。
4 本件事故は、被告塩沢が被告車に青果を積み込んで水海道市にある青果市場へ「せり」に行く途中に発生したもので、被告会社の業務に従事中の事故であつた。
5 被告塩沢に対する被告会社の品物の配達先とかその他の指揮は、被告富岡が直接行なつていた。
被告らは、被告車の所有権は被告会社にあり被告富岡にはないと主張し、証人富岡君子の証言中には右主張に沿う証言部分があるが、右証言部分は前掲各証拠に照らし措信できないし、また〔証拠略〕も、前記2のとおり被告車を会社の資産としても扱かつていたということを示すだけで、右〔証拠略〕をもつて被告らの前記主張を認めるわけにはいかず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。
他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
前記各事実によれば、被告富岡は被告車の所有者であり、被告車を会社設立当初より被告会社に提供し、被告会社の業務のために使用してきたことが明らかである。
そこで、被告会社および被告富岡の責任について検討するのに、被告会社は、被告富岡より被告車の提供を受け、会社設立当初より同車を業務のために使用してきたものであるところ、本件事故は、被告会社の従業員である被告塩沢が被告会社の業務のため被告車を運行中に発生したものであるから、被告会社は自賠法三条にもとづく責任があるというべきである。次に、被告富岡についてであるが、同被告は、被告会社の代表取締役であるところ、同会社は税金対策上、個人営業を法人組織にしたものであり、役員としては被告富岡と同被告の妻訴外君子の他にあと一名しかおらず、実質的には同族会社ないし個人会社のようなものであり、被告富岡が、同会社を事実上主宰しているうえ、被告車の所有者であり、同車を前記のとおり設立当初より被告会社に提供し、従業員の指示監督、品物の配達先の指揮等に携わつていたものであるから、被告会社の業務のため同会社の従業員たる被告塩沢が被告車を運行中に惹起した本件事故について、被告富岡も自賠法三条にもとづく責任があるというべきである。
四 (時効の抗弁について)
1 本件事故が昭和四五年八月六日発生したことは当事者間に争いないところ、原告の本件損害賠償請求の訴が被告富岡、同塩沢に対しては昭和四九年一月七日、被告会社に対しては同年五月一〇日なされたことおよび被告らが本件事件の口頭弁論期日において、消滅時効を援用したことは本件記録上明らかである。しかして、本件事故発生日から起算すれば、原告の本訴の提起は三年以上経過していることは被告らの主張するとおりである。
2 被告会社に対する関係について
原告は、被告会社が加害者であることを知つたのは、本訴提起後、被告塩沢に対する刑事記録を取り寄せ閲覧したときであるから、時効期間の起算点は、そのときからであると主張するので検討する。
〔証拠略〕によれば、原告は、事故証明書の被告車の所有者欄に被告富岡の名前が記載されていたので、被告車は被告富岡個人の所有と思い、損害賠償の請求を当初より被告富岡宛にしていること、原告は、被告塩沢から「富岡青果」に勤めていると聞いたが、「富岡青果有限会社」(被告会社)の従業員であるとは聞いていないこと、原告は、本訴提起に至るまでの間に被告富岡や同被告の妻の訴外君子から被告車の運行供用者が被告会社であるということを聞いていないこと、原告が被告富岡方へ示談交渉のため赴いたときも、同人宅には有限会社の看板がでていなかつたため、会社であることに気がつかなかつたこと、原告が、被告会社の存在、同会社と被告富岡、同塩沢の関係、被告会社も被告車の運行供用者であること等を知つたのは本件事件の訴訟で被告塩沢に対する刑事記録を取り寄せて、その旨を原告訴訟代理人弁護士稲益賢之から聞いたときであることが認められ、〔証拠略〕中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない(なお、被告らは、原告は、昭和四五年八月二二日水海道警察署における取調の際、被告および被告車を知悉している旨供述しているから、遅くともこの時点から消滅時効が進行すると主張するが、〔証拠略〕によれば、原告は、被告ら主張の日時に前記警察署において、被告塩沢の住所、氏名、同被告が店員であること、被告車が普通貨物自動車である旨の供述はしているものの、それ以上に被告会社の存在、同会社と被告富岡、同塩沢との関係についての供述は一切なされていないことが認められるので、被告らの前記主張は採るを得ない。)。
右事実と前記三、2で認定したとおり、被告車の自動車検査証の所有名義ならびに使用者名義および自賠責保険の保険契約者名義がいずれも被告富岡となつておること、前記三で認定判断したとおり、被告会社は、実質的には同族会社ないし個人会社のようなものであつて、事実上被告富岡個人が主宰しているものであること、原告が、もし被告会社の存在および被告塩沢が同会社の従業員であること、被告会社と被告富岡の関係等を被告富岡、同塩沢に対する本訴提起前に知つておれば、当初から被告会社をも被告として本訴を提起するのが常識的に当然と考えられることを勘案すれば、原告が、被告会社も本件事故について自賠法三条による責任を負うべき者であるとのことを知つたのは、被告塩沢に対する業務上過失傷害被告事件の確定記録が法廷に顕出された本件事件の第二回口頭弁論期日(昭和四九年三月二八日)のころ、早くても右記録が当裁判所に送付された同年二月二二日以降(右顕出ならびに送付の事実は本件記録上明らかである。)であると認められる。
そうとすれば、原告の被告会社に対する損害賠償請求権の時効期間の起算点は、昭和四九年三月二八日ころ、早くても同年二月二二日以降となるところ、そのころより三年以内である同年五月一〇日に被告会社に対して本訴の提起がなされているから、被告会社に対する関係の被告らの消滅時効の抗弁は、結局理由がないことになる。
3 被告富岡、同塩沢に対する関係について
原告主張の再抗弁について検討する。
被告塩沢の署名指印については当事者間に争いないので、同被告の作成名義部分については全部真正に成立したものと推認すべく、その余の作成名義部分については〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和四八年七月初旬ころ、茨城県岩井市内にある中央市場において、被告富岡に対し、本件交通事故にもとづく損害賠償請求をしたが、被告富岡が同被告の妻の訴外君子と話をするように云つたので、同被告方へ行き訴外君子に請求したところ、同人は、請求書と明細書を持参すれば請求どおり支払うと答えた。
(二) 原告は、昭和四八年八月五日被告富岡方へ電話し、訴外君子に対し、原告が勤務している訴外北村商店へ来てくれというと、同日訴外君子と被告塩沢が同店に来たので、原告は、そのとき損害賠償支払請求書とその内訳明細書(〔証拠略〕。以下、本件請求書等という。)を書いて、これを訴外君子に渡した。ところで、訴外君子は、本件請求書等を受け取る前に、自分は代理なので主人に話をするといつて、電話で相談してから右文書を受け取り、その際、訴外君子と被告塩沢は、前記損害賠償支払請求書を受領した旨の受領書にそれぞれ署名指印した(以上の事実のうち、訴外君子が前記日時に訴外北村商店へ行き、本件請求書等を受け取つたことは当事者間に争いがない。)。
(三) 訴外君子は、前記のとおり本件請求書等を受領して帰宅し、同日午後七時ごろ、被告富岡に右文書を見せた。
(四) 前記損害賠償支払請求書には「昭和四五年八月六日発生の交通事故による損害賠償金の残金として金三五三万五八二円を別紙のとおり請求する」旨の記載があり、明細書(〔証拠略〕)には、治療費、休業損害、慰謝料等が項目別に金額を示して記載してある。
〔証拠略〕中、前記認定に反する部分は、前掲他の証拠に照らし措信できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によれば、原告は、被告富岡および同塩沢に対し、昭和四八年八月五日本件事故にもとづく損害賠償請求の催告(請求)をし、右催告が被告両名に同日到達していることが明らかである。しかるところ、右催告の日時は、本件事故発生の日たる昭和四五年八月六日から三年以内であり、更に原告の被告富岡および同塩沢に対する本訴の提起(裁判上の請求)は、前記1のとおり右催告の日より六ケ月以内の昭和四九年一月七日であるから、民法一四七条一号、一五三条により本件事故にもとづく損害賠償請求権の消滅時効は中断しているといわざるを得ない。
被告らは、本件請求書等の受領は、債務の承認ではないし、また仮に債務の承認であるとしても訴外君子は被告富岡の代理人でもなく、無権限で右文書を受領したものであるから無効である旨主張するが、前記認定のとおり、被告富岡および同塩沢に対する催告(請求)がなされたものであつて、債務の承認の問題ではないから(本件請求書等の受領が債務の承認でないことは被告らの主張するとおりである。)、被告らの債務の承認を前提とする主張は採るを得ないものである。
以上によれば、原告の再抗弁は理由があることになり、被告らの消滅時効の抗弁は結局成り立たないことになる。
第二損害
一 (治療費) 金二五万四、〇九〇円
〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、本件事故により、前記第一、一、1のような傷害を受け、右手背にケロイドが形成し、右小指の屈曲三〇度、伸長一八〇度、右手の握力一五(左手は四二位ある。)の後遺症が残存するため、右手で物を握りしめることが困難であり、また右手指は寒いときなど痛みを感ずるし、更に、右環指を切断しているので田植の手伝いや日常生活にも不自由を感じているほか、前記ケロイド症状があるので人前では右手を出しづらい。
2 原告は、前記の負傷の治療のため、昭和四五年八月六日から同年九月二日まで(二八日間)佐藤外科に、昭和四六年一月一八日から同月三〇日までと同年四月一二日から同年五月一七日まで(四九日間)土浦協同病院に入院したほか(入院日数合計七七日間)、昭和四五年九月三日から同年一二月三〇日までの間に九四日間佐藤外科に、昭和四六年一月六日から同年八月三一日までの間に四二日間土浦協同病院に通院した(通院日数合計一三六日間)。
3 原告の前記負傷の治療費に金二五万四、〇九〇円を要した。
二 (診断書料および明細書料) 金四、三〇〇円
〔証拠略〕によれば、診断書料および明細書料に合計金四、三〇〇円を要したことが認められる。
三 (入院中の家族の付添費および通院費) 金八万五、五〇〇円
〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
1 原告の母の訴外岩田あいは、本件事故当時、株式会社筑波ゴルフコースにキヤデーとして勤務し、平均日給金一、五六〇円の支払を受けていたところ、訴外岩田あいは、原告が前記一、2のとおり入院中、佐藤外科において二八日間、土浦協同病院において一七日間前記ゴルフの会社を休んで原告の付添看護をした。
右事実によれば、訴外岩田あいの付添看護費は一日金一、五六〇円が相当であるから、付添費の合計は金七万二〇〇円となる。
2 佐藤外科は賄い付きでなかつたので、訴外岩田あいは、自炊または外食をせざるを得ず、一日金二〇〇円位を要した(証人岩田あいの証言中右認定に反する部分は、〔証拠略〕に照らして措信できない。)。
右事実によれば、訴外岩田あいの要した食費の合計は金五、六〇〇円となる。
3 訴外岩田あいは、前記1の付添看護のため、バスで通院したが、バス代は佐藤外科のとき往復金一四〇円、土浦協同病院のとき往復金三四〇円であつた。
右事実によれば、訴外岩田あいの要した交通費の合計は金九、七〇〇円となる。
以上の金額を合計すると金八万五、五〇〇円となり、これが入院中の家族の付添費および通院費である。
四 (原告の入院中の食費) 金五、六〇〇円
原告本人(第一回)によれば、佐藤外科は賄い付きでなかつたので、出前を頼んだり訴外岩田あいに自炊をしてもらつていたことが認められるところ、前記三、2のとおり一日金二〇〇円の食費を要したと認めるのが相当であるから、原告の同病院入院中に要した食費は合計金五、六〇〇円となる。
五 (入院雑費) 金一万一、五五〇円
弁論の全趣旨および前記一、2の入院期間(合計七七日間)によれば、原告の要した入院雑費は、一日金一五〇円の割で合計金一万一、五五〇円であると認めるのが相当である。
六 (原告の通院交通費) 金二万八、四六〇円
バス代は前記三、3のとおりであるから、原告の要した通院交通費を計算すると、佐藤外科のとき金一万六、七〇〇円、土浦協同病院のとき金一万一、七六〇円となり、その合計は金二万八、四六〇円である(なお、前掲甲第四号証の一によれば、佐藤外科の場合のバス代が昭和四五年一〇月八日往復一四〇円から同二〇〇円に改訂されているので、同年九月三日から同年一〇月七日までは毎日通院していたものとして旧料金で、その余の通院日数は新料金で計算する。)。
七 (休業損害) 金八一万五、八五〇円
〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故当時、訴外北村商店に勤務し、月給は平均手取で金五万四、三九〇円、年末と夏期にはそれぞれ給料の一ケ月分位の賞与をもらつていたこと、原告は本件事故により昭和四五年八月六日から翌四六年八月三一日まで三九一日間(約一三ケ月間)休業し、その間の給料と賞与(昭和四五年末の賞与と昭和四六年夏期賞与)の支払を受けられなかつたことが認められる。
右事実にもとづき計算すると、原告は合計金八一万五、八五〇円の得べかりし収入を失つたものということができる。
八 (逸失利益) 金二二六万八、八四六円
〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時、満二二才(昭和二二年一一月二日生)で、普通貨物自動車の運転手をしていたことが認められるが、右自動車の運転手としては満五〇才まで就労可能と考えられるから、就労可能年数は二八年である。しかるところ、原告は前記一、1のような後遺症があるため、労働能力を二〇パーセントは喪失したものと認めるのが相当である。ところで、原告の本件事故当時の月給の手取は前記七のとおり金五万四、三九〇円だから年収を計算すると賞与を含めて金七六万一、四六〇円となる。そこで、右各数値をもとに年五分の中間利息の控除につきライプニツツ計算により算出すると(本件のような長期間の逸失利益の計算の場合は、ホフマン式よりライプニツツ方式の方が相当であると考える。)、本件事故当時における原告の逸失利益の現価は、次のとおり金二二六万八、八四六円(円未満切捨)となる。
七六万一、四六〇円×一四・八九八(ライプニツツ式係数)×一〇分の二=二二六万八、八四六円
(なお、原告は、労働省統計情報部編集の昭和四七年賃金センサスを資料として計算し請求しているが、本件の原告のように、現に職業に就いていた場合は、一般的な資料よりも具体的な資料をもとに逸失利益を計算する方が相当であると考えるので、前記のとおり算出したものである。)
九 (慰謝料) 金一〇〇万円
原告は、本件事故により前記第一、一、1のような傷害を受け、前記第二、一、1のような後遺症を有し、そして、右負傷の治療のため前記第二、一、2のとおり長期間にわたり入院ならびに通院を余儀なくされたものであるから、右の精神的苦痛を慰謝するのには金一〇〇万円が相当であると認める。
一〇 (過失相殺)
前記第一、一で認定した本件事故の態様によれば、原告は、原告車に乗車しようとする際に、後方約四〇ないし五〇メートルのところから被告車が進行してくるのを認めたのであるが、このような場合、原告としては、危険を避けるために、乗車を急がずに、直ちにドアを閉めて車体に身を寄せて待つか、少なくともドアの先端部分をつかむのを差し控えて被告車の通過を待つていれば、本件事故の発生は防げたと考えられる。すなわち、道路左端に停車している車の運転席に乗車しようとする者としては、後方の車の有無ならびにその動向に十分注意し、もし自己が乗車を完了するまでに後方から他車がくるおそれがある場合は、乗車を差し控えるか、十分に安全を確認し、かつ安全な方法で乗車すべきものというべきである。しかるところ、以上述べた点において原告に不注意があつたものということができる(被告らは、原告はドアを開ける際、左側のドアを開けるべきである旨いうが、運転手以外の者であればそのとおりであるが、右側ハンドル車の運転席に乗る場合は、十分安全を確認さえすれば、右側ドアを開けて乗車しても一向に差し支えないものというべきである。なお、被告らは、バスの停留所から一〇メートル位先に原告車を停車していたことは禁止規定違反であるというが、道路交通法上、停留所から一〇メートルを超えて停車していれば問題はないうえ、本件の場合、右の点は原、被告の過失を考えるうえにおいて直接関係はないものというべきである。)。
前記原告の不注意を斟酌し、原告は、被告らに対し、前記一ないし九の損害額合計金四四七万四、一九六円のうち、七割に相当する金三一三万一、九三七円(円未満切捨)を請求しうるにとどまると解するのが相当である。
一一 (損害の填補) 金一五五万円
原告が自賠責保険および被告から合計金一五五万円を受領したことは当事者間に争いがないので、これを控除すると、前記一〇の損害額は金一五八万一、九三七円となる。
一二 (弁護士費用) 金六〇万円
〔証拠略〕によれば、原告は、被告らが任意の支払に応じないので、原告訴訟代理人弁護士稲益賢之にその取立を委任し、着手金として金二〇万円を支払い、金六〇万円の報酬を支払うことを約していることが認められる。
しかるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らすと、被告らに負担させることのできる弁護士費用としては金六〇万円とするのが相当である。
第三結論
よつて、被告らは各自原告に対し、金二一八万一、九三七円および内弁護士費用を除く金一五八万一、九三七円に対する本件事故発生の翌日である昭和四五年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務があり、右の限度で原告の請求は理由があるから認容し、被告らに対するその余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき、同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中田昭孝)